あなたに話すまでもないこと

通りすがりの人混みから「きっちゃった 3センチ」と聞こえた。女の人の声で、それは嬉しそうでもあり悲しそうでもあり恥ずかしそうでもある。きっちゃった3センチってのは髪の毛のことだと察しまして、髪の毛を3センチって大したことないのではと思いましたが、この人にとってはとても重要な言い方で、もしかしてこの人は1センチ単位ですべてを感じ取っているのか思って、LUMINEに蔓延る人を見渡しました。ここにいる大体の人たちは誰にも気づかれない三センチの機微を抱えて生きて、その三センチの機微を満たしにこのLUMINEという場所に来ているようでした。誰のために、自分のために、誰に気づいてほしくてほしくなくて、ここにいる人たちはどうやって生きているんだろう。女性でいることを謳歌しようとしているらしくて、自分にはずっと手の届かない感覚をみんなは握りしめて生きている。みんなキラキラしようとしている。ハロプロの歌詞にありそうや…といった面でも感動しました。

あの子から送られてきた指輪の写真。本当に輝く石がついていた。輝く石って本当にあるのか、どこかで作り話だと思っていた。この世にあるらしい。これは現実か。「おめでとう」と誰かの字で書かれたスタンプを送る。別に悲しいわけでもないけどどちらかというとうれしいけどかなしいかも。どこかでみんなと違う道に片足が出てて、その地面がどんどんぬかるんで、ぬかるみだけに気を取られていたらいつのまにかみんな天井くらい高いところにいる。きっと同じ酸素を吸っていないし、吐く息ももう同じ色じゃない。みんなには同じ色の息に見えていない。わたしもあなたも何も変わってはいないのに。

日記

去年からバタバタと続いていたものが着実に落ち着いていって、物事は着実に行えば終わるんだなと思ったところ。何かの家中にいるときはこの状態が永遠に続くような気がして毎度恐ろしくなるのに、一個ずつ着実にトントントンとやっていけば必ずいつかは終わる。そのことが毎度覚えられずにサボったりくさったりして早くサボりたい休みがほしいと願い続け、それでいざすべてが落ち着くと自分自身が暇なことに気がついて、どうしようもなく焦ってまたくさる。当たり前のことが理解できないね。この頭のなか何回やるの。

まだ6月なのに部屋のエアコンをつけてしまったことに罪悪感がすごい。

なんか文明を信頼しすぎて怒りだしてる人を見るとどうしようもなく疲れる。

小さい文字は大きい文字より落ち着く。

友達から結婚の話をよく聞くようになった。いつまでには結婚して、いつまでには子供欲しいよねとか。地元のギャルのLINEアイコンに赤ん坊映ってたりとか。最近自分はお母さんにはなれないのかなってチャリ漕ぎながら考えた。周りの子は自転車のことチャリって言わないな。大人は立ち漕ぎもしないし。そういうこと考えたまま同居人に向けて口に出した。特定の人にはどうしてもおしゃべりになってしまい、考えたことがぼろぼろ口から出ていってしまう。それを人に言っていいことなのか、それを言うことで相手がどう感じるのか自分がどう思われるのかとか、考える前にぼろぼろ出る。近しい人に限ってそのあたりの判断が昔からできない。30歳までに治したいところ。それをどういう意味でかはわからないけど、同居人はちょっと飲み込んで受け流してくれるのでその思考は大変この人にとって有難い。その方がこの人が自分と暮らす上で、健康でいられる方法だと思います。同居人を外に向けるときの名称もわからないし、もしこの人とけっこんしたとして、お父さんじゃなくてお母さんになってくれたらいいのにねわりと本気で思っちゃった。どっちがこども産めるか選べるようになったらいいのにな。自分がお母さんって呼ばれるのよくわからない。

今日もハロプロありがとう。「私を引き止めて欲しいくせに」という歌詞表現に大感銘の日々。明日から雨やだな。

 

 

 

 

あたらしい

新しい音楽を探す。出会ったあの人の部屋は本で溢れている。古い少女漫画をたくさん抱えて、壁にかかった薄い鏡にあの人の横顔が映る。その横顔は目の前にいるあの人よりなんとなくきれいだった。

ここに住むあの人をわたしは知っていたと思っています。

新しい音楽を探し、新しい服を探し、新しい本を探し、新しい家を探し、新しい人を探しつづけている。

女は腕を噛んでいた。悲しくてもわたしに痛みが返ってくるとなんとなく今日はそうだったかなと思って、明日の食べるものを考えないとと思い出したように楽しくなって、横にいる自分が楽しそうに笑っているのを見ていたら楽しくなった。

なくしたものがないように、いつもどれも確認したい。確認すればするほど何がどうなっているかをなくしてしまうので、わたしはわたしを知っていたい。って言ってるのを聞きました。

遠くでなくなるのを聞いた。聞いていた。頭の中でいつも見ている景色に何かが吹きつけて、大きい音が鳴って、そのまま砂漠になった。楽しい夢の話をする人が好きだった。こどもが笑う意味がわからないまま大人になった。こどもがどこかに立っている。私はあの子に食べ物と人形を与えるだけ。

お父さん迎えに来ないね。

私が言った。

あなた誰にも救われないね。バカみたいに救われないね。いつまでそこにいるんだろうね。面白いね。いなくなればいいね。いつまでもここにはいられないのでまた様子見にくるね。こどもは嘘みたいに笑っている。どこかの考え事をしている途中、じゃあまたって言ってるのを遠くから今日も聞いていた。死なない夢を知りたいね。

 

 

2019年に書き残していたこと

母さんは笑った。兄ちゃんも笑った。横にいる人も笑った。映画を観に行こうと思った。バイトの人に飲み会に誘われた。同居人はガンプラを作っている。まっさらなザクに自ら土やサビを足すことで、躍動感を与える作業を続けている。私の部屋に躍動感のあるザクが置かれている。できればどこか見えないところに置いてほしい、戦闘してきたかのようなザクはここにいないべき。汗をかいていたら知らないメガネに笑われる。近所の映画館でジョーカーを見る。ポップコーンの食べ過ぎか、人が殺される様のどちらかで気持ちが悪い。冷静に考えなくとも、人が殺される様に皆慣れすぎ。バイト先の女の子(ショートカット)はいつもグレーのマットなヘッドホンを首からかけて、よく分からないマイナーな月刊漫画雑誌を読んでいる。掠れた声の「お疲れ様です」を今日も聞く。六本木のはなまるうどんにはギャルの店員がいる。いつも素手でうどんをつくってくれる。私はそれがとても嬉しい。